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山口マオさん(イラストレーター)

ワイルドで奔放な「マオ猫」で人気を博し、地元・千倉でオリジナルギャラリー&ショップ「海猫堂」をプロデュースした、イラストレーターの山口マオさんにインタビューしました。

「マオ猫」は、自由とか孤独とか、
僕の精神的な理想像を、猫の姿を借りて描いたものです。

山口マオさん2

2003年末から暮らし始めた愛犬アム(アムリタ)と

僕の実家は、この庭の向こうに建っている家で、子どものころ、ここには、昔話に出てくるようなおばあさんが子猫と住んでいたんです。うちには「熊太郎」という気性の優しい犬がいましたが、猫はいなかった。僕は生まれつき猫が好きで、まだ3歳のころ、どうしても猫が欲しくて、親におにぎりを作ってもらい、お隣の子猫をおびきよせて、拉致しました(笑)。それで親に頼んでもらって、うちで飼うようになったのが最初の猫です。

うちのおじいさんは、猫なんか役に立たないからと反対で、「猫を飼うなら台所でネズミの番をしろ、名前は鍋か釜でいいや」と(笑)。でもそれじゃかわいそうだし、メスだったから「釜子」になりました。釜子は長生きして、”できた”猫になり、僕、5人兄弟の末っ子だったんですが、兄弟げんかをしてたりすると、「うるさい!」と言うように、寄ってきてガブッとかむ。それで我々はびっくりしてけんかをやめちゃう。そんな猫でしたね。

山口マオさん3

今は亡き愛犬「ムンク」と愛猫「ネコミー」

絵は3、4歳ぐらいからずっと描いてました。東京にいた母方のおばあちゃんが来ると、必ず目の前に座らせて肖像画を描くのが年中行事。あとは鉄腕アトムやペンギンの絵、時計屋さんに行った時の絵などが残っていて、なかなかいいですよ。確かに僕は絵がすごく好きでしたが、自分よりうまい子は、周りにもいました。でも、そういう子は勉強も運動も得意だったりして、絵を描き続けられなかった。結局、好きなことを”続ける”才能があるかないかが、一番大事なことじゃないかな。

僕は高校で美術部に入り、東京の美術系大学を受験して失敗。予備校に通ったけど、最高に幸せでしたね。英語や数学や世界史などの授業がなくて、午前も午後も全部絵を描いていられるのが。基本的には、卓球の「愛ちゃん」じゃないけど、”好き”な子じゃないと続かない。それに、好きなことをマゾヒスティックに突きつめる人じゃないと、大成しないかもしれませんね。

山口マオさん4

自由奔放なキャラクター「マオ猫」

「マオ猫」について言えば、正式に世の中に出てきたのは1986年ぐらいですが、その前から、人間みたいな格好をしてスイカを食べたり、腕相撲したりする猫を描いていました。でも、まだヒゲがあったりして、進化の過程だった。そのうちにしっぽがなくなり、直立二足歩行して…という感じで今の「マオ猫」になりました。

潜在的には、自分の精神的な理想像みたいなものを、猫の姿を借りて描いたものですね。例えば、自由だとか孤独だとか、社会に縛られてないだとか。今の世の中、働かなければいけなかったり、学校に行かなければいけなかったりするけど、そんな枠組みから外れることの大らかさ、面白さ、自由さ、ですね。だから、最初は、犬と猫がサラリーマンを散歩させながら、井戸端会議をしていたり、サラリーマンのおじさんと猫がお面を交換したり、立場が逆転した作品が多かったんです。これから、また、どんな進化をするか分かりませんけどね。

(初出:「よみうりペット」2004年9月20日発行号)

山口マオさん (イラストレーター)

1958年、千葉県千倉町生まれ。3歳から猫と暮らし、絵を描く。東京造形大学卒業。28歳の時にイラストレーターとしてデビュー。強烈な個性の「マオ猫」で人気を博し、木版画を中心に、絵本、雑誌、広告、グッズなどの分野で活躍。1997年、東京から地元・千倉に移り、創作活動のほか、オリジナルギャラリー&ショップ「海猫堂」をプロデュースする。

6月 18, 2010 | Comments are off | With Pet インタビュー