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南里秀子さん(キャットシッター)

1992年、日本初のキャットシッターサービスを開業し、45,000匹以上の留守番猫を世話する。2002年、飼い主亡き後の猫をケアする「猫の森」システムを始動。猫との暮らしにかかわるカウンセラーとしても活躍するキャットシッターの南里秀子さんにインタビューしました。

猫って、今、今、今、じゃないですか。
楽しいことを、今、楽しまなかったら、もったいないですよね。

南里秀子さん(キャットシッター)2

南里さんと愛猫「みん」

非婚化や少子化、高齢化、都市化などの社会状況の変化で、最近は、これまで全然猫と縁のなかった人たちが猫と暮らし始めるケースが増えています。すると、猫のことを何も知らなくて、猫がくしゃみをしても、あくびをしても驚く(笑)。猫が食べ物を吐くと、慌てて動物病院へ連れて行く。そんな方にアドバイスをする仕事もしています。

アドバイスといっても、実は、その人が自分で「こうすればいいんだ」と気づかないかぎり、役に立ちません。わたしは、ほとんどの時間、その人がどんなことに悩んでいるのかを聞いて、「大丈夫ですよ、猫はそんな生き物なんですから」と言い、その人が「こうしたい」という方向へちょっと背中を押してあげる。それで大抵、うまくいくんです。

猫は、もともと”おとな”なんです。人間は猫が子どもだと誤解して、「自分が守ってあげなくちゃ」と思っていたりするけど、とんでもない。自分のほうがもっと”おとな”にならないといけないんです。

猫って、人の気持ちを察する天才ですから、人のほうが操られちゃう。大切なのは”猫のゲーム”に乗らないこと。例えば、夜鳴きして大変という場合でも、猫のゲームに乗っているかぎり続きます。そこを、ぐっと我慢して無視する。そのうちに、猫のほうが「あ、これはダメだ」ってあきらめます。

猫と人は、フィフティ・フィフティ。「わたしは寝ないと困るの」という確固たる意志を持って暮らせば、猫も人もお互いがもっと解放されて、快適で自由な付き合いができます。

そんな猫との暮らし方を映像でご紹介しようと作ったDVDが『キャットシッターなんりの猫暮らしマニュアル』です。猫の遊ばせ方も、動画で見るとよく分かります。でも、撮影って難しいですね。リハーサルでうまくいっても、本番の時、猫が遊び疲れていたり(笑)。ロケを重ねていくにしたがってうまくなり、猫をピークにもっていく方法が分かってきたころには撮影終了(笑)。でも、出演してくれた猫たち、すごくかわいいから、何度見ても見飽きません。本当に、猫に感謝です。

わたし、生まれた時からずっと猫と暮らしてきて、そして17年間(2009年9月現在)キャットシッティングをしてきた中で、生き方も変わってきました。猫って、今、今、今、じゃないですか。わたしたち、明日、死んじゃうかもしれないから、楽しいことを、今、楽しまなかったら、もったいないですよね。

人生って、”今、一生懸命・・・”が積み重なったもの。例えば、わたし、子宮がんになり、手術したあとのほうがずっと元気です。その後、離婚して、離婚したあとのほうがもっと元気(笑)。女って猫と一緒でたくましいですね(笑)。肩の荷をどんどん下ろしていくと、楽になるし、自由になるし、視野、生き方が広がっていく感じがすごくします。

(初出:「よみうりペット」2006年2月20日発行号)

南里秀子さん (キャットシッター)

1958年、茨城県生まれ。1992年、日本初の「キャットシッターなんり」開業。45,000匹以上の留守番猫を世話する。2002年、飼い主亡き後の猫をケアする「猫の森」システムを始動。猫との暮らしにかかわるカウンセラーとしても活躍。『猫と暮らせば』『猫、ただいま留守番中』『猫の森の猫たち』(駒草出版)などの著書があるほか、監修・出演のDVD『キャットシッターなんりの猫暮らしマニュアル』(アルバトロス)がレンタル&発売中。

9月 18, 2010 | 0 | With Pet インタビュー

山口マオさん(イラストレーター)

ワイルドで奔放な「マオ猫」で人気を博し、地元・千倉でオリジナルギャラリー&ショップ「海猫堂」をプロデュースした、イラストレーターの山口マオさんにインタビューしました。

「マオ猫」は、自由とか孤独とか、
僕の精神的な理想像を、猫の姿を借りて描いたものです。

山口マオさん2

2003年末から暮らし始めた愛犬アム(アムリタ)と

僕の実家は、この庭の向こうに建っている家で、子どものころ、ここには、昔話に出てくるようなおばあさんが子猫と住んでいたんです。うちには「熊太郎」という気性の優しい犬がいましたが、猫はいなかった。僕は生まれつき猫が好きで、まだ3歳のころ、どうしても猫が欲しくて、親におにぎりを作ってもらい、お隣の子猫をおびきよせて、拉致しました(笑)。それで親に頼んでもらって、うちで飼うようになったのが最初の猫です。

うちのおじいさんは、猫なんか役に立たないからと反対で、「猫を飼うなら台所でネズミの番をしろ、名前は鍋か釜でいいや」と(笑)。でもそれじゃかわいそうだし、メスだったから「釜子」になりました。釜子は長生きして、”できた”猫になり、僕、5人兄弟の末っ子だったんですが、兄弟げんかをしてたりすると、「うるさい!」と言うように、寄ってきてガブッとかむ。それで我々はびっくりしてけんかをやめちゃう。そんな猫でしたね。

山口マオさん3

今は亡き愛犬「ムンク」と愛猫「ネコミー」

絵は3、4歳ぐらいからずっと描いてました。東京にいた母方のおばあちゃんが来ると、必ず目の前に座らせて肖像画を描くのが年中行事。あとは鉄腕アトムやペンギンの絵、時計屋さんに行った時の絵などが残っていて、なかなかいいですよ。確かに僕は絵がすごく好きでしたが、自分よりうまい子は、周りにもいました。でも、そういう子は勉強も運動も得意だったりして、絵を描き続けられなかった。結局、好きなことを”続ける”才能があるかないかが、一番大事なことじゃないかな。

僕は高校で美術部に入り、東京の美術系大学を受験して失敗。予備校に通ったけど、最高に幸せでしたね。英語や数学や世界史などの授業がなくて、午前も午後も全部絵を描いていられるのが。基本的には、卓球の「愛ちゃん」じゃないけど、”好き”な子じゃないと続かない。それに、好きなことをマゾヒスティックに突きつめる人じゃないと、大成しないかもしれませんね。

山口マオさん4

自由奔放なキャラクター「マオ猫」

「マオ猫」について言えば、正式に世の中に出てきたのは1986年ぐらいですが、その前から、人間みたいな格好をしてスイカを食べたり、腕相撲したりする猫を描いていました。でも、まだヒゲがあったりして、進化の過程だった。そのうちにしっぽがなくなり、直立二足歩行して…という感じで今の「マオ猫」になりました。

潜在的には、自分の精神的な理想像みたいなものを、猫の姿を借りて描いたものですね。例えば、自由だとか孤独だとか、社会に縛られてないだとか。今の世の中、働かなければいけなかったり、学校に行かなければいけなかったりするけど、そんな枠組みから外れることの大らかさ、面白さ、自由さ、ですね。だから、最初は、犬と猫がサラリーマンを散歩させながら、井戸端会議をしていたり、サラリーマンのおじさんと猫がお面を交換したり、立場が逆転した作品が多かったんです。これから、また、どんな進化をするか分かりませんけどね。

(初出:「よみうりペット」2004年9月20日発行号)

山口マオさん (イラストレーター)

1958年、千葉県千倉町生まれ。3歳から猫と暮らし、絵を描く。東京造形大学卒業。28歳の時にイラストレーターとしてデビュー。強烈な個性の「マオ猫」で人気を博し、木版画を中心に、絵本、雑誌、広告、グッズなどの分野で活躍。1997年、東京から地元・千倉に移り、創作活動のほか、オリジナルギャラリー&ショップ「海猫堂」をプロデュースする。

6月 18, 2010 | Comments are off | With Pet インタビュー

高原鉄男さん(グラフィックデザイナー・アーティスト)

野良猫をテーマに心に迫る絵を描き、味のある雑貨やグッズを制作。2007年に初著作『猫がいてよかった。』(友人社)を上梓した、グラフィックデザイナー・アーティストの高原鉄男さんにインタビューしました。

生きて、死んでいくまでの間に、外の猫にも1回ぐらい
“幸せ”を感じてほしいな、と。

高原鉄男さん2

高原さんと愛猫の「ソックス」

僕は小さいころ両親が働いていて、家には犬や猫がいました。高校1年の時から東京でひとり暮らしをし、しばらく猫とは無縁の生活でした。それが23歳の時、最初の結婚をして、迷い込んできた1匹の猫を飼うところからかかわりが始まったんです。その猫はすぐに出て行ったけれど、かわいいからまた飼いたくなる。当時は、避妊手術の知識とかがなくて、わーっと増え、たくさんの猫と暮らすのが当たり前の感覚になっていました。

猫を飼いだすと、外の猫にも目が行くようになります。特に都会に住んでいると、すごく過酷な状況で暮らしている猫が多いことを肌で感じますね。自分が飼っている猫は、目一杯尽くしますから、本当のところはどうか分からないけれど、幸せだろうと思います。そういう”幸せ”を、生きて、死んでいくまでの間に、外の猫にも1回ぐらい感じてほしいな、と。そんな心に引っかかることが、結局、僕の絵を描く行為になっているような気がします。

高原鉄男さん3

猫と人間が織り成す20のストーリーと25の書き下ろしの絵が感動を呼ぶ、珠玉の1冊/友人社

僕は元々グラフィックデザイナーで絵の教育は受けたことがなく、いまだに絵に自信がない。でも、猫のことを思うと描かずにいられない。せめて、野良猫には、見て見ぬふりをするぐらいの気持ちで接する環境であってほしいですね。

僕が猫の絵を描き始めたのは”バブル”のころ。デザインの世界もデジタル化し始めて、「おれは無理だな、この先」と思っていた時、たまたまサンフランシスコへ行きました。そこの、表にTシャツなんかをつるしているギャラリーで出合ったのが、アウトサイダーアートという、美術教育を受けていない人たちの絵です。それまで僕は、色校正を見るためにルーペを持ち出すような世界で生きていたので、木片やトタンに描いているラフな絵がすごく良くて、衝動的に大きい絵を1枚買って帰ってきました。その立派な絵が80ドル、当時1万円もしなくて、すごい衝撃でした。

高原鉄男さん4

アウトサイダーアートに出合ってから最初に描いた作品

その時、僕も買い物かごを提げたおばちゃんが気軽に買えたり、遠慮なく眺めたりできる、1枚5千円ぐらいの絵を描きたいなと思いました。もちろん、テーマは野良猫。それならべニヤ板に描けばいい。額代が出ないから障子の桟木を切ってつければいいや、と。知り合いの看板屋さんに聞くと「安いべニヤなら1枚380円だよ」。それなら8枚取れる。これで行こうと、最初に描いたのがこの作品です(右写真)。

そんなことを長い間やっていると、人と猫との心温まる関係が色々見えてきますね。特に都会では核家族とか、孤独とかの社会背景がある中で、猫の存在が”重い”。ペットと飼い主という枠を完全に超えていて、子どもの代わりという人もいれば、友人、恋人という感じの人もいて、胸を打たれる話が多かったんです。その、人と猫とのかかわりを1冊の本にまとめたのが『猫がいてよかった。』です。

(初出:「よみうりペット」2007年7月20日発行号)

高原鉄男さん (グラフィックデザイナー・アーティスト)

1958年、長崎県生まれ。高校1年から東京で暮らし、大学中退後、グラフィックデザイナーに。1990年、サンフランシスコでアウトサイダーアートに出合い、野良猫をテーマに絵を描き始める。1997年、かつての飼い猫の名「鉄男」ブランドで、洋服や雑貨の制作を開始。著書に『猫がいてよかった。』(友人社)。
オフィシャルサイト「鉄男大全」
http://www.tetsuox.net/

2月 10, 2010 | Comments are off | With Pet インタビュー

東 まゆみさん (K-9ダンサーズ主宰)

早くからミュージカル・フリースタイル(ドッグダンス)の普及に取り組み、2006年4月、アメリカでのWCFO世界大会に招かれたK-9ダンサーズ主宰、東 まゆみさんにインタビューしました。

“人犬”一体になると、肩を少し動かすだけで犬が自然に踊ってくれる。
それがドッグダンスの醍醐味ですね。

東 まゆみさん (K-9ダンサーズ主宰)2

愛犬「JAZZY」「JOVIE」と。

わたし、生まれた時から犬と育ち、これまで生活に犬がいなかったことは一度もありません。今、2頭のミニチュア・プードル、5歳の「JAZZY」と9カ月の「JOVIE」と暮らしていますが、わたしもこの子たちも音楽のリズムにのせてステップを踏むスポーツ「ドッグダンス」がとても好きです。

偶然、ドッグダンスを始めたのはもう15年以上前でしょうか。ちょうど日本で「人と犬のしつけ教室」が開催され、愛犬と一緒に参加しました。その発表会で、わたし、「美しく青きドナウ」の曲に合わせ、初めて、人と犬との創作舞踏を披露したんです。小学校でクラシックバレエ、中学・高校でジャズダンスを習い、音楽に合わせて体を動かすのが大好き。それに、訓練の成果を発表するのも、観客を飽きさせず、楽しませなければと思ったからなんです。

そして10年ほど前、JKC(ジャパンケネルクラブ)の団体競技にチームで出て、ディズニーアニメの音楽に合わせて、犬たちと一緒にパフォーマンスを行い、優勝しました。音楽は全部8で数えられるので、ステップを踏みやすく、とても動きやすいんです。

東 まゆみさん (K-9ダンサーズ主宰)3

愛犬と一緒に楽しくドッグダンス!

1999年、ニューヨークでWCFO(World Canine Freestyle Organization)が結成されて世界各地で競技会を始め、わたしも本部の会員になりました。その後、ご近所の主婦の方々をお誘いして、「K-9ダンサーズ」を結成。いろんなイベントに参加しています。

ドッグダンスは、人も犬も自分の年齢や体力に合わせて演技できるので、誰でもどんな犬でも無理なくできます。大切なのは、犬を型にはめないで、お互いのコミュニケーションを楽しむこと。例えば、犬が朝起きた時、前足を伸ばして伸びをする。その時、いつも「おはよう!」と声をかけ、ダンスの最後のポーズに使う。あるいは、家の中で犬が狭い場所に入り、仕方なくバックする。そんな、日常の何気ない動作をダンスに取り込んでいけばいいんです。

K-9ダンサーズのメンバーはシニアの方が多いのですが、みなさん、楽しんでいらっしゃいます。もっとも、最初、犬はどんどんうまくなるのに、人のほうがうまく動けなかった(笑)。そこで、ダンスのインストラクターにお願いして、美しく歩く方法や手の動かし方などの特訓をしました。おかげで、みなさんが”見られる”ことを意識するようになり、上達が早くなりました。

ドッグダンスは、うちの子にどんな音楽が似合うか、こんな動きを入れれば意外性があって面白いと考えるので、体も柔らかくなるし、創造性も豊かになっていきます。それに、愛犬と一緒に発表するという目標があるので、毎日の生活に張りが出て、若々しくなります。

実際に音楽に合わせ、”人犬”一体になって動くと、人と犬の呼吸が重なっていき、肩を少し動かすだけで犬が自然に踊ってくれます。それが一番の醍醐味ですね。

(初出:「よみうりペット」2006年4月20日発行号)

東 まゆみさん (K-9ダンサーズ主宰)

1957年、東京都渋谷区生まれ。小さい時から犬と育つ。愛犬の訓練成果の発表に、大好きな音楽を活用したパフォーマンスを披露して、ドッグダンスを始める。のち、ニューヨークを本部とするWCFO会員に。ご近所の人々と「K-9ダンサーズ」を結成し、国内のイベントに出演。2006年4月、アメリカで開催のWCFO世界大会に招かれ渡米した。

10月 16, 2009 | Comments are off | With Pet インタビュー

飯田基晴さん(ドキュメンタリー映画作家)

2002年に長編ドキュメンタリー映画「あしがらさん」を、2009年2月に犬猫を取り巻く現状を丹念に取材した「犬と猫と人間と」を完成させたドキュメンタリー映画作家、飯田基晴さんにインタビューしました。

“戦場のお医者さん”みたいな役割を、動物のボランティアさんたちが
担っている。それは、すごい衝撃でした。

飯田基晴さん(ドキュメンタリー映画作家)2

僕は社会問題にそれほど関心があったわけでもないんです。でもドキュメンタリー映画が好きで、自分の知らない世界を知る中で社会にかかわることに興味を持ちました。その関心事のひとつにホームレスの人たちがいて、実際に、どんな人たちが、どんな思いで暮らしているのかを知りたくて新宿駅西口に通い、同じ人間なのに、なぜ、自分と路上に暮らす人たちがこれほど違うのか衝撃を受けたんです。そんな中で、ひとりのホームレスの方と知り合い、撮りだしたのが「あしがらさん」制作のきっかけでした。

2004年春に「あしがらさん」の劇場公開を始めた時、稲葉恵子さんという年配のご婦人が劇場に来られて、僕に「動物の映画を作ってほしい」と言われました。最初、半信半疑でしたが、その後、お会いすると、自分は捨て猫の世話をしてきたけれど、そういう猫たちが施設でいっぱい処分されている。そんな現状を変え、命の大切さを伝える映画を作ってほしい。多少の蓄えがあるので制作費にしてください。内容については一切、口を出しません、ということでした。

僕は、小学1年のころから実家で犬と暮らした経験がありましたが、犬や猫が処分される状況などについて、ほとんど知りませんでした。そこで書店に行って動物愛護に関する本を探した時に、今回の映画にも協力いただいた作家・渡辺眞子さんの著書に出会ったのです。それを読んだ時、これは動物たちの問題ではなく、人間の問題、今の日本の問題だというのを学びました。そこで、これからどんな映画を作るにしても、年間、何十万頭もの犬や猫が処分されている現実を自分の目で見なければと思い、まず、川崎市の施設で職員とボランティアの方が行っている飼い方教室を見学しました。

飯田基晴さん(ドキュメンタリー映画作家)3

2009年2月22日に行われた長編ドキュメンタリー映画「犬と猫と人間と」の完成記念上映会のチラシ

そのインストラクターの方が保護活動のボランティアをしていて、講義の後、収容犬舎へ犬を見に行くのに同行したんです。犬舎には犬が2頭。1頭は汚れきった老犬で、もう1頭は健康そうなビーグル犬でした。ボランティアの方は犬舎に入ると、ビーグル犬に近寄って健康状態を確認。自分たちがこの犬を預かるので処分を待ってほしいと、職員に頼んでいました。その間、老犬には見向きもしません。それは、老犬を保護しても新たな飼い主が見つからないため、若く元気な犬を優先せざるを得ない。何もできないことが申し訳なくて、老犬と目も合わせられないのです。

その様子を目の当たりにした時、これは”戦場のお医者さん”みたいだな、と思いました。野戦病院にケガ人が運ばれてきた時、誰を救うか。結局、その場で助けられそうな、治る見込みのある患者さんしか手当てできない。そんな役割を、日本の中で、ボランティアさんたちが”普通”に担っている。それは、すごい衝撃でした。

そんなふうに「犬と猫と人間と」の撮影は始まり、その後、4年近く、あちこちの施設やボランティア団体、さらにはイギリスまで出かけて取材を続け、2009年春、ようやく完成しました。

(初出:「よみうりペット」2009年3月20日発行号)

飯田基晴さん(ドキュメンタリー映画作家)

1973年、神奈川県生まれ。1996年より路上で暮らす人々とかかわり、1998年より映像で発表。2002年、長編ドキュメンタリー映画「あしがらさん」を完成させる。2006年、映像グループ ローポジション設立。「犬と猫と人間と」は2005年より撮影し、2009年2月に完成。同年10月に東京・ユーロスペースでの劇場公開が決定した。
映画情報はローポジションのホームページへ。http://homepage2.nifty.com/lowposi/

8月 21, 2009 | 0 | With Pet インタビュー

北村 薫さん(作家)

1989年、母校の県立高校で教鞭を執りながら「覆面作家」として『空飛ぶ馬』でデビュー。『ミステリ十二か月』など多数の著書があり、2009年、『鷺と雪』で直木賞を受賞した作家の北村 薫さんにインタビューしました。

猫と人との関係は恋愛と同じで、多少”美しき”誤解はあっても、
「わたしは猫に好かれてる」と。

北村 薫さん(作家)2

初めて飼った愛猫「ゆず」と。

猫には感心しますね。夏なんか、あんなに暑くても、多少毛が抜けることがあるとはいえ、あの毛皮を着ていて、そのあとだんだん冷え込んできても、基本的には同じ着物でいるわけだから。我々ならひとたまりもないな、と思います。

わたしは小さい時から犬も猫も飼ったことがなかったんです。ところが、5、6年前、うちの娘が猫を飼いたいというので、近くのブリーダーさんの所に行きました。そこにいたアメリカンショートヘアの子猫の中の1匹と娘の目が合って、運命の出会いですね。その子が「ゆず」。彼女が、和風の名前がいいといって名付けました。

家の中に、生きて、動いて、感情を持っている者が、家族以外にいるというのはいいことですね。ゆずが寝てれば、「あ、寝てる」と思うし、夕方、わたしが仕事をしてると、仕事部屋のドアをカリカリして、「飯をくれ!」。朝は早いうちから「朝飯をくれ」といって、みんなのところを回ってる。寝ることと食べることしかないんです、彼には(笑)。普段、あまり鳴かないんですが、おなかが空いた時だけすごく哀れな声で「ミィー」と哀願する。それがかわいいんです。

虫が部屋に入ってくると、やっつけようとしてじっと見ている。彼は臆病で、自分より強そうな者にはとことん弱いんですが、自分より弱そうな者にはとことん強い。だから小さな虫だと威嚇する。でも、風船の犬を買ってきて、ポンポン弾いて見せたら、驚いて、すごい勢いで2階へ逃げていきました(笑)。

北村 薫さん(作家)3

読売夕刊に連載されていた人気コラムが単行本に。/中央公論新社

とにかく、猫は柔らかな感じがあって、心が落ち着きますね。ゆずは、わたしがコタツで寝ていると上に乗ってきて、顔をすり寄せてきたりする。それはいいんだけど、たまに、顔をすり寄せてくる途中で、ウッ、ウッ、と戻しそうな声をあげる。これはいやだな(笑)。最初に吐いた時、わけが分からなくて知り合いに電話したら、「猫は大丈夫だよ」と。やはり、今まで飼ったことがないと、ちょっとしたことでも驚きますね。ほかに大きな病気や事故はないけど、1回、尿道結石を患って、病院に連れて行ってびっくりしました。今は、尿を採って、顕微鏡で見て、「このままだと死んじゃいますよ」と言って、その映像をスクリーンに出して見せてくれるんですね。幸い、食事療法で治りましたけど。

何かに書いてあったのですが、勤めに出ている女性が帰ってくると、いつも帰り道に「ミャー」と出てきて、足元にすり寄ってくる猫がいた。それを偉い先生が「別に猫に好かれているのじゃなく…」と動物行動学的に説明していた。でも、それじゃ、つまらないですよね。自分の主観として、その猫がわたしを判別できて、わたしを愛してくれている、と思いたい。例えば、恋愛ってのは美しき誤解だというわけですから、やはり、多少誤解はあっても、「わたしは猫に好かれてる」(笑)。

(初出:「よみうりペット」2004年12月20日発行号)

北村 薫さん (作家)

1949年、埼玉県生まれ。早稲田大学卒業。在学中はミステリ・クラブに所属。母校の県立高校(国語科)で教鞭を執りながら、1989年、「覆面作家」として『空飛ぶ馬』でデビュー。1991年に『夜の蝉』(以上、東京創元社)で日本推理作家協会賞、2009年に『鷺と雪』(文芸春秋)で直木賞を受賞した。主な作品に『円紫さんと私』シリーズや『覆面作家は二人いる』シリーズ、また、「時」をテーマに数奇な人生を歩む女たちを描く『スキップ』『ターン』『リセット』や『語り女たち』(以上、新潮社)、『ミステリ十二か月』(猫の挿絵・大野隆司/出版社・中央公論新社)など著書多数。

7月 24, 2009 | Comments are off | With Pet インタビュー

影山直美さん(イラストレーター)

日本犬雑誌『Shi-Ba』(辰巳出版)連載の作品集『柴犬さんのツボ』(辰巳出版)他、『柴犬ゴンのへなちょこ日記』(幻冬舎文庫)などの著書がある、イラストレーターの影山直美さんにインタビューしました。

ゴンは、テツと余計なケンカはしない、って決めたのかな。
偉い、と思いました。

影山直美さん(イラストレーター)2

愛犬「ゴン」(右)、「テツ」と

わたし、子どものころから犬が大好きでした。でも父が犬嫌いだったので飼えず、結婚したら犬を飼うのが夢だったんです。

主人も犬好きで、子どもの時に飼っていたというので、犬の世話なら聞けばいいと思っていたんです。ところが「ゴン」と暮らし始めて、全然当てにならないことが分かって(笑)。しつけの本を何冊も読んで勉強しました。

犬の絵を描き出したのはゴンが来てからですね。最初は寝ているところばかりスケッチしていたのですが、そのうちにゴンの行動を観察していて、漫画みたいに描けば面白いだろうな、と思ったんです。

ちょうどわたしの妹が札幌に住んでいて、最初は、今日はこんなことがあった、ゴンがこんなヘマをした・・・と、落書きみたいなイラスト入りで書き、FAXで送っていました。すると、頭の中が4コマモードになる時がある(笑)。そこで、お付き合いのある出版社やプロダクションの人に、年賀状や暑中見舞いに4コマ漫画を描いて送ったりしていました。

影山直美さん(イラストレーター)3

『Shi-Ba』で掲載された柴犬の4コマ漫画に書き下ろしを加えた作品集/辰巳出版

そんなころ、日本犬雑誌『Shi-Ba(シーバ)』の編集者から「やってみましょうよ」と話があり、4コマ漫画の連載が始まったんです。犬たちと一日一緒にいると、例えば、寝顔のほっぺがかわいいな、と思いながら、じっと見ている。それが、何かの時に”ネタ”になって出てきたりします。そんなふうに描きためた連載をまとめた『柴犬さんのツボ』を2006年の秋に出してから、「面白かった」という感想を、メールで送ってくれたり、自分のブログに書き込みしてくれる人が増えて、驚いています。柴犬にはとぼけた感じがあるので、うまく4コマ漫画の世界にはまったのかもしれません。

2005年の夏、ゴンが8歳の時に、2頭目の柴犬「テツ」を飼い始めました。犬も2頭になると、色々発見がありますね。ゴンは人懐っこいのですが、犬には厳しいんです(笑)。散歩の時、ゴンが前を歩き、テツがついていく。途中、テツの鼻がちょっと腰辺りに当たろうものなら、ゴンは飛びかかるようにして怒る。でも、それはしつけという感じで、ちょっとかむ程度だったので、犬たちに任せていたら、自然と上下関係ができてきたみたいです。ゴンとしては、これから自分が普通に生活していくために、やらなければいけないことをやっている、ということだったんでしょうね。

だから、テツは、いつも自由に暴れまわっていますが、ゴンには逆らえない。ただ、食べ物が絡むと本気でケンカします。

ある時、先に食べ終わったゴンが水を飲もうとしてテツのところに近づいてきました。すると、テツがすごく怒ったので、ゴンは、何かイヤになったみたいな顔をして、遠くの離れたところで、テツが食べ終わるのを見ていたことがあります。ゴンは、余計なケンカはしない、って決めたのかな。偉い、と思いました。

(初出:「よみうりペット」2007年4月20日発行号)

影山直美さん(イラストレーター)

1963年、埼玉県生まれ。海辺と犬との生活にあこがれ、結婚後、イラストレーターとして独立。湘南で柴犬ゴンと暮らし、日々の出来事を題材に、日本犬雑誌『Shi-Ba』(辰巳出版)に4コマ漫画を連載。2006年秋、連載漫画やイラスト、文章をまとめた『柴犬さんのツボ』(辰巳出版)を出版し、その後第3弾まで発刊中。他に『柴犬ゴンのへなちょこ日記』(幻冬舎文庫)など。
影山直美公式HP
http://www.geocities.jp/atelierkotori/

6月 19, 2009 | Comments are off | With Pet インタビュー

有栖川有栖さん (推理作家)

1989年、『月光ゲーム』でデビュー。主な著書に『マジックミラー』『46番目の密室』『ペルシャ猫の謎』『マレー鉄道の謎』『乱鴉の島』『女王国の城』など多数の推理作家、有栖川有栖さんにインタビューしました。

「猫」という文字も、言葉も、音も、全部好き。
「ねこ」の「ね」の字は、どこから見ても、猫がしっぽを巻いて、寝てる姿ですよね。

有栖川有栖さん (推理作家)2

愛猫「瓜太郎」と。

子どものころは猫にあまり興味がなく、自分が飼うとは思ってなかったんです。それが結婚1年目の25歳の時、大阪の下町の長屋に住んでいたのですが、雨の降る夕方、小さな子猫が鳴いていたので、一晩だけ雨宿りをさせてやろうと家に入れてあげました。猫って、抱くとこんなに柔らかいのかと、初めてしげしげと見ました。こんなチビなのに好きなように生きていて、いい顔をしている。凛とした横顔を見ると、猫の瞳に理知の光さえ感じる。見れば見るほど、その子の感情が分かったり、こちらの気持ちが伝わるような気がして、一晩で猫にほれました(笑)。

そのころは共働きだったので、猫は、昼、外で遊ぶ。夕方、わたしたちが仕事から帰ってくると、猫も帰ってくる。それで、ケガをして死んだり、病気をもらったり、どこかへ行ってしまったりで、拾った猫を1年と飼ったことがなかった。ところがこの子「瓜太郎」を拾った次の年、マンションの上層階に引っ越すことになり、それから部屋の中で飼うようになりました。そして、引っ越しをしてすぐ、マンションの下でうろうろしている子猫がいたので拾いました。それが「小次郎」です。その後7年ほどは、外で猫に出会うこともなく暮らしていました。

ところが阪神大震災の年の3月、マンションの自転車置き場で生後半年ほどの子猫を見かけました。でも、3匹目はちょっとためらいがありました。3匹になると、飼い主のタガがはずれ、4匹、5匹と猫屋敷への道を歩むことになりかねない(笑)。飼うつもりはなかったけど、嫁さんも猫好きなので、「今、下に猫がいたわ」と言うと、「あ、そう」と言い、翌日、「この猫?」と連れてきた(笑)。

有栖川有栖さん (推理作家)3

表題作「ペルシャ猫の謎」他、6編を収録した傑作集/講談社

その猫はメスでしたが、すごく攻撃的だし、先住のオス猫2匹と三角関係になっても困る(笑)。それでごはんをあげてから、また下の植え込みに置いて、エレベータで上がっていくと、下から猫の鳴き声が・・・。これは放っておけないと、上に着いてすぐ〈下がる〉のボタンを押した(笑)。それが「桃」です。

桃は大震災もひとりで経験しているし、野良が長かったから、どんなに行儀が悪くても構わないと思っていました。でも育ちが悪いというのは、行儀が悪いのとは違いますね。「わたしは後から来た」という遠慮があるのか、他の猫がごはんを食べていると、食べずに待っている。先住猫たちは容赦なく甘えるのに、「わたし、ここに置いてもらえるだけで十分」という感じで、甘えない。かわいがられたことがないと、「甘える」のを知らないんです。それが不憫で「お前のこと、かわいく思っているよ」と言い続けていたら、だんだん甘えることを学習してくれました。

とにかく、猫を飼い始めたころは、次々に死んだり、いなくなったりで、その後の喪失感って大きかったです。その子たちの分も、今の猫たちが一生懸命、長生きしてくれていて、ありがたいですね。

(初出:「よみうりペット」2006年3月20日発行号)

有栖川有栖さん (推理作家)

1959年、大阪市生まれ。11歳から推理小説の虜となり、同志社大学在学中、推理小説研究会で創作活動を行う。卒業後、書店勤務のかたわら、執筆に没頭。89年、『月光ゲーム』でデビューして専業作家となる。主な著書に『マジックミラー』『46番目の密室』『ロシア紅茶の謎』『ペルシャ猫の謎』『幽霊刑事』『マレー鉄道の謎』(以上、講談社)『朱色の研究』(以上、角川書店)『乱鴉の島』(新潮社)、『女王国の城』(東京創元社)など多数。ほかに『作家の犯行現場』(新潮文庫)『有栖川有栖の鉄道ミステリー旅』(山と渓谷社)などのエッセイ集も多い。

6月 05, 2009 | Comments are off | With Pet インタビュー

たかはし みきさん(イラストレーター)

「こげぱん」「あまぐりちゃん」などのキャラクター原案、文具デザイン、絵本制作を手がけ、現在、フリーのキャラクターデザイナー&イラストレーターとして多彩に活躍する、たかはし みきさんにインタビューしました。

愛犬ソラが亡くなってしばらく後、母が「わたしの母さんが
亡くなった時よりすごくつらいのはなぜ」って。

たかはし みきさん(イラストレーター)2

『ハルとソラとのミニチュアな日々』の表紙の原画とともに

最初にわが家に犬が来たのは、わたしが7歳の時。小学校のプールの裏でみんなが飼っていた「シロ」を、先生が保健所に連れて行くというので、兄が「僕が飼う」と言って連れてきたんです。でもわたしは恐怖の固まりで、全然懐かなかったです。そのころは今みたいに誰も飼い方の知識がなく、父と母は共働きで散歩もままならず、シロは置き去りでムダぼえも多くて大変でした。結局、シロは3年ぐらいしてフィラリアで死に、それから父が生き物は絶対飼わないと決めました。

でも14年前に母が突然雑種の子犬「ハル」を抱いて帰ってきて、父と言い争いになった時、父が「子犬がかわいいからと拾ってきて、最後までちゃんと飼えるのか、シロのこともあるのに」というのを聞いて、「父さんて、犬が嫌いなワケじゃなかったんだ」と思いました。その後、ハルは父にべったりで、9年前、母はミニチュア・ダックスの子犬「ソラ」を飼い始め、ハルは父、ソラは母、みたいになりながらみんなで楽しく暮らしてきました。

犬を介してしゃべっていて、あ、わたし、父とこんなに近づいたことあったっけ、みたいに家族の距離がぐんと縮まって。

やがて父が退職して実家も田舎に引っ越し、兄に続いてわたしも東京暮らしを始め、仕事や趣味に生きる母に対して、父は、2匹の犬たちと田舎暮らしを満喫。車好きのソラを助手席に乗せて、あちこちドライブに出かけ、これから一緒に旅行でもしようかと車も買い替えた矢先、1年前の冬に、元気だったソラにガンが見つかり、余命半年と宣告されました。

その時、父がお医者さんに「僕の育て方のどこが悪かったんでしょうか」と言うほど自分を責めて落ち込みました。でも、息子と娘は東京でたまに見舞いに来るぐらい。母はおろおろして「お父さんお願い」。それで、父は「おれがソラを見るしかない」と覚悟を決めて、最後まで本当によく面倒を見てくれました。

たかはし みきさん(イラストレーター)3

たかはしさんの実家で暮らす2匹の愛犬、ハルとソラ。2匹との愉快な思い出からソラとのお別れまでを描いた、ほのぼのコミックエッセー/幻冬舎コミックス

ちょうどソラが亡くなったのが、この本『ハルとソラとのミニチュアな日々』の原稿を描き上げたころで、最後をどうしようか悩んだけど、泣きながら「その日は突然やってきた…」という結末を描きました。やはり、犬を飼うって、うれしいお迎えと悲しいお別れがセットなんですよね。

このごろ、やっと父も立ち直りつつあり、毎日、ソラに線香をあげて、ソラがいつもいたソファに「ソラ!」って声をかけている。そういうのを聞くと、わたし、だめなんです。

母のほうは、ソラが亡くなった時、意外に平気そうにしていたのが不思議だったのですが、この前、ふと、「わたしの母さんが死んだ時よりすごくつらいのはなぜ」って、つぶやいて、わたし、「…やっぱり」と納得しました。

そんな父と母の姿を見ていて、うちは家族4人で2匹の犬と暮らし、みんな頑張ってソラを看病して見送ったけど、わたしだけで飼うのはまだ無理、ということを学びました。ひとりでお別れするの、耐えられないですね。

(初出:「よみうりペット」2009年1月20日発行号)

たかはし みきさん(イラストレーター)

1975年、千葉県船橋市生まれ。文具メーカーに勤め、「こげぱん」「あまぐりちゃん」などのキャラクター原案、文具デザイン、絵本制作を手がける。2002年よりフリーのキャラクターデザイナー&イラストレーターとして活躍。主な著書に『こげぱんぶらり旅シリーズ』(主婦と生活社)、『まいにちトースト』(技術評論社)など。2008年夏、『ハルとソラとのミニチュアな日々』(幻冬舎コミックス)を上梓。

4月 10, 2009 | Comments are off | With Pet インタビュー

くるねこ大和さん(パッケージ・デザイナー)

拾った子猫たちの飼い主探しのために「くるねこ大和」ブログを開設。広く共感を呼び、ブログ掲載マンガを収録した『くるねこ』(エンターブレイン)を出し、ベストセラーに。パッケージ・デザイナーのくるねこ大和さんにインタビューしました。

4匹目を拾い、「トメ吉」と名づけて「これで打ち止め」と言ったら、
「止めどない、のトメじゃないの」と(笑)。

くるねこ大和さん(パッケージ・デザイナー)2

くるねこ大和さんと胡ぼん

猫は「にゃん」が最初ですね。小学校5年の時、3歳ぐらいのすごくきれいな猫が、用事ありげに家に上がり込んできました。これは絶対飼い猫だと思って、父が「あなた、来るとこ、間違っとるよ。家に帰りなさい」と公園へ。すると、父が帰ってこないうちに戻ってきて、こちらが根負けしました。

その2年後に来たのが「マオ」。あの子は1日粘って居着きました。家の周りでニャーニャー言うので、「あの家、猫捨てとる」みたいに外聞が悪くて(笑)。その1年後、今度は大きな犬がやって来ました。みんな、押しかけです。

わたしが猫を飼い始めたのは23歳の時。勤め先の近所にペットショップがあって、かわいくない子猫がいました。その子は何度行っても売れ残ってる。仕方がないので、連れて帰ってきました。すごくやせていたから、太ったらかわいくなるぞ、と思っていましたが、そのまま大きくなった(笑)。それが「もんさん」です。

2匹目が1999年秋。勤め先の社長がコーヒー買ってきて、と言うので出かけたら、すごく汚い子猫がいて、コーヒーを買い忘れ、その子を買い物袋に入れて帰ってきたら、みんなが「コーヒーが、う、動いとるじゃないか」みたいな。それが「ポ子」です。

次が2001年の夏。夜、ビールを飲んでいると、知り合いから電話があって、「黒い猫が木の上におるで、そっちへ行きたいらしいんで、ちょっと待っとって」。その人、自分では登れないので、お巡りさんに捕まえてもらい、家に連れてきた。お巡りさんが絡んでると、わたし、断れないじゃないですか。それが「カラスぼん」。

4匹目が自転車に乗っていて道端で拾った子猫。この子が最後、と思って「トメ吉」と名づけ、これで打ち止め、と言うと、「止めどなし、のトメじゃないの」と言われました(笑)。

5匹目が去年の夏、妹が拾ってきた子猫3匹の内の1匹「胡ぼん」です。

くるねこ大和さん(パッケージ・デザイナー)3

愛猫4匹の生い立ちや日常、ついつい拾ってしまう子猫の子育て、里親探しまで、猫づくしの人気WEBマンガの書籍版。右は5匹目の猫・胡ぼんが登場する第2巻/エンターブレイン

ブログを始めたきっかけは、拾った子猫の飼い主探しのためです。独立して事務所を構えたけど、最初はヒマ。近くの川の土手を散歩していると、子猫を5匹見つけ、連れて帰ってきました。そのころ、わたしは1Kの部屋に猫4匹と暮らしていて、もう限界。それで友達や仕事関係の人に頼んだのですが、見つからない。1匹は実家に引き取ってもらい、あとの4匹を猫ブログの人にお願いしたら、1週間で全部決まって感激しました。

でもこれから毎年、春と秋に5匹ずつ拾うとしたら、他人を頼ってる場合じゃない。それで2006年にブログを始めました。最初は写真を載せていたけど、加工が大変で飽きてきた。ある日、マンガを描いて載せると、「それがいい」と言ってくれた人がふたりいて、それからわたし、ずっとマンガを描き続けています。

拾った子猫の飼い主さんが見つかるとすごくうれしいです。でも届けに行き、帰宅してお酒を飲んでいるとドーッと涙が出ます。実は5匹の子猫の時、わたし、悲し過ぎて、暴れたんですよ。その時、冷静な心の自分が、わたし、猫で切れるのか、と思っていました。

(初出:「よみうりペット」2008年9月20日発行号)

くるねこ大和さん(パッケージ・デザイナー)

愛知県豊田市生まれ。1993年、名古屋造形短期大学卒業後、デザイン会社に就職。パッケージ・デザイナーの道を歩み、のち独立。2006年、拾った子猫たちの飼い主探しのために「くるねこ大和」ブログを開設。広く共感を呼び、2008年1月、ブログ掲載マンガを収録した『くるねこ』(エンターブレイン)を出し、ベストセラーに。同年7月、続編『くるねこ2』(同前)を上梓。

4月 10, 2009 | Comments are off | With Pet インタビュー